2013年8月以降、3次にわたって生活保護基準の引下げが強行されました。これを憲法25条違反であるとして、東京都(および全国各地)の生活保護利用者たちが、国などに対して保護費減額の取消し等を求めています。
生活保護引下げ違憲東京国賠訴訟・第5回口頭弁論期日(2017年7月19日/東京地裁103号法廷)では、原告「C」さん(50代男性)と弁護団による意見陳述が行なわれました。
このうち原告陳述を「C」さん本人と担当弁護士の了承を得て全文掲載させていただきます。
生活保護利用当事者が法廷で陳述を行なう。その発言が公(おおやけ)に紹介される。これは比較的に珍しいかもしれません。いま日本では不当で暴力的な「生活保護バッシング」が執拗に続けられています。そのような状況で、裁判原告となり、声を上げる「C」さんの勇気と誠意に心からの敬意を表します。また転載を快諾してくれたことに感謝を申し上げます。
なお陳述中で触れられている、ある芸能人親族の生活保護利用は「不正」ではなかった(違法行為はなかった)という事実を編集部として──「C」さんとも相談した上で──指摘させていただきます。
次回・第5回口頭弁論期日は11月1日(水)11時から東京地裁103号法廷です。一人ひとりの平和的生存権と社会参加券を実現するためにも、ぜひ傍聴応援に参加してください!
☆転載開始☆
意見陳述書
2017(平成29)年7月19日
原告番号
わたしは、2000年に、勤務先において、過重労働や複数の上司らによるパワー・ハラスメントなどによって精神疾患を罹患し、休職と復職を繰り返したのち、2006年に解雇されました。その後、療養と再就職活動を行い、パート勤務も経験しましたが、症状が悪化して長くは続けられず、経済的困窮状態に陥って、2012年に生活保護を利用するに至りました。
申請時の2012年は、週刊誌の報道を発端に、ある芸能人の親族が生活保護の「不正受給」をしていたのではないかという批判が社会に広がった年です。当時、野党であった自民党国会議員らを中心に、国会内外で「不正受給」に対する攻撃と、それに伴って生活保護制度を改悪しようとする動きが、広がっていました。
わたしは、貯蓄も尽きつつあり、生活保護の利用が必要な生活状況に近づいていました。しかし、これらの報道や国会中継などに接して、わたしは「父親に面倒を見てもらえと言われるのではないか」と考え、生活保護の申請に極度の不安を感じ、症状が悪化しました。その年の夏には入院するにまで至りました。
1か月後に退院して、それから更に2か月ほどして生活保護を申請し、利用し始めました。しかし、それと同時に、福祉事務所より「転居指導」を受けました。それまでわたしが住んでいたマンションは6万数千円の物件で基準よりも約1万円上回っている、というのが理由でした、このため、転居先を探さざるをえなくなりました。
複数の不動産屋を通じ30件前後の物件を内見したのですが、生活保護利用者の入居が可能な物件が限られていた上に、精神疾患罹患者の入居を受け入れる賃貸人がほぼ皆無でした。そこで、仕方なく精神疾患であることを伏せて、やっと物件が見つかりました。
この間の転居先探しなどで、極度の不安感は静まらず、再び症状が悪化しました。身体的症状が複数、顕著に表れるようになりました。2014年ころからは、不意に足がすくみ、そのあとに全身こわばったような症状になるとともに、頭がヘルメットで締め付けられるような強烈な圧迫感を感じるという症状に悩まされています。この症状が出ると、死の恐怖を覚えるほど、つらいものです。
足がすくむ等の症状の出るようになったころ、父が末期がんで入院し、わたしは連日病院を見舞っていました。見舞いの往復の際、しばしば、症状の発作に襲われることがあり、最寄り駅の救護室に救護を求めることが幾度かありました。しかし、残念なことですが、わたしのような病気は、社会のなかで、なかなか理解されていないのが実情です。ある時、駅の担当者に「救護室は休憩室ではない」との理由で救護を拒否されたあげく、症状を説明すると「精神病院に行けばいいだろう」「電話を貸すわけには行かないから、自分で救急車を呼べばいい」などという暴言を受けたこともありました。
転居先も、さきほど申し上げましたように、やむなく選択せざるを得なかった物件だったため、住みよい部屋とはいえません。今も住んでいますが、郊外にある共同住宅で、築36年、北向きの部屋です。傾斜地の2階にあるため、実質は地上1階で、バルコニーの外は雑草が背高く繁茂して、室内へもゴキブリ、ハエトリグモ、足が長い20センチ前後くらいになるクモ、アリなども多数入ってきます。チョウバエ、ショウジョウバエ等も飛んでいて、目や鼻や口に飛び込んできます。蚊も出てくるので、夏は網戸は一切開けられません。
もう一つ、部屋が北向きのため一年を通しカビとの戦いになります。部屋に充満するカビの匂いは、鼻の奥や喉を傷めますので、窓を開けることが多くなります。外の冷気が入ってくるので、風邪をひくことが頻繁にあります。押入れの中は、カビが最も繁殖する場所で、毛布を直においてしまったために緑のカビが毛布の表面を覆いつくしてしまい、毛布を取り出したところ、部屋中に胞子が飛散して後始末に大変難儀をしたこともありました。
わたしは、所謂(いわゆる)、「呑む・打つ・買う」をせず、タバコも吸わず、これらとは一切無関係の生活を今に至るまで営んでおります。それにもかかわらず、保護開始後の生活は、「生かさず、殺さず」というくらいのギリギリの生活状態が続いているという感想でありました。しかし、その後、相次ぐ保護費引下げにより、生殺しの状態に向かっていることを実感するようになってきました。
比較的大きな商業市街地が近くにあるため、少しでも安い食料品を求めて、複数の食料品店を物色して回ります。そのための時間に毎日2~3時間要しています。朝食は、毎日、400g容器のプレーンヨーグルトを3~4回に分けて消費し、食パン、コロッケ一枚、コーヒーという献立です。昼食は基本的には摂りませんが、食べても日本そばの乾麺を茹でたものが大抵であります。夕食も、ほぼ毎日、3種類の総菜盛り合わせの容器詰めと、豆腐、納豆、味噌汁という献立であります。大体一日1000円ちょっとの食費で、ふつうは外食はできません。
わたしは勤めていたころは稀覯本(きこうぼん)の収集を趣味にしていて、週末は神保町《※編集部注:東京都千代田区神田神保町界隈には世界的にも有名な古書店街があります》に出かけて古書即売会や古本屋をめぐっていたのですが、生活保護を利用してからは趣味はあきらめました。本もほとんど処分しました。普通の本も買うお金などはなく、図書館で借りています。
また、かつてはクラシックの演奏会によく足を運びましたが、生活保護を利用するようになってからは、3~4年前に無料コンサートを聴きに行ったのが最後です。その他、現在の生活を考え合わせると、生活保護制度が保障するとしている文化的な生活水準からは遠い状態にあると思います。もちろん、旅行に行く余裕などもありません。
今回の引下げの前から、生活扶助費は食費と光熱費などの生活上どうしても必要な経費に消えていき、それ以上はほとんど何もできないギリギリの生活しかできませんでした。
しかし、今回相次いで行われた生活扶助費の引下げに加え、この裁判などで都心に移動する諸経費がかさむようになり、生活をより切り詰めることを余儀なくされています。2014年に父が入院した時のように、母親が病気になって見舞いに行くなど、急に必要な費用が増えると、限界まで切り詰めなければ生きていけないのです。
そこで、この集団提訴を起こすことに、やむにやまれぬ思いで、相成った次第です。
わたしは、国が今回の生活扶助費の引下げの理由の1つと主張している「物価下落」の根拠とされる「生活扶助相当CPI」は、総務省の消費者物価指数の算定方法と異なるものを採用したもので、比較の対象期間も恣意的であって、意図的に引下げ額を大幅にするために使われたとみています。いわば、厚生労働省のこの不審な「物価指数」の操作の疑惑を、ねつ造、偽装が行われたという新聞記事や、学者・専門家の指摘で知り、非常な驚愕と憤りを覚え、審査請求を行いました。しかし、素っ気ない却下通知がにべもなく送付されるのみであったため、やむを得ず訴訟に至りました。
最後になりますが、わたしが生活保護を利用して実感したことは、事実上、生活保護利用者は基本的な市民的権利を多々制限されているのではないか、ということです。
福祉事務所は、「電気はこまめに消しましょう」「むだなお金は使わない」などと、いわずもがなのことを書いたものをわざわざ送ってきます。上から見下した態度が表われていると思います。わたしには、今の生活保護基準は厚生労働省が「生かさず、殺さず」の方針で定めたものにしか見えないのですが、役所は「不平不満を言うな」「批判もするな」「お上のいうことには黙って従え」というような姿勢なのです。
今回の引下げをみても、今の生活保護行政は、生活保護利用者に対し、「権利だの自由だの求めるな」「社会に迷惑をかけずひっそり暮らしていろ」「贅沢はするな、早く就労して生活保護を抜ける努力に励め」と命令しているに等しいと思うのです。
このことで、わたしが理解したことは、奪われた市民的権利を再び獲得するには、闘うことを強いられるという、現実でありました。わたしは司法において権利を要求するに際し、政府や行政当局に対し、乞い願う者ではありません。わたしの市民としての基本的権利の回復を要求するのみであります。
以上
☆転載終了☆
以下は「C」さんが当日撮影された写真です。
閉廷後に弁護士会館で行なわれた報告集会にも多くの方が参加されました。
白木敦士弁護士(左/7月19日に弁護団による陳述を担当)と宇都宮健児弁護士(右/弁護団長)。
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