小田原市福祉事務所職員の生活保護利用者への威嚇事件についての所感

解説・意見など

一生生活保護利用者

筆者経歴:某消費生活協同組合に入職。過重労働とパワーハラスメントにより精神疾患を罹病、休職。復職後更にパワーハラスメントを罹災。休職及びリハビリ出勤と並行して行った長期にわたる経営理事会との交渉により自己都合退職に追い込まれる最悪事態を辛くも回避をしたが、不承不承ながら解雇される。自治体委託の就労支援センターに登録しながらの療養。当該施設でもほぼ放置と讒謗の日々を過ごし、数年後パート勤務。勤務先に於いても放置と暴行があり疾患がやや重篤化し退職。入院など紆余曲折の末現在に至る。

  今般発覚した過去十年に渡る小田原市福祉事務所の生活保護利用者にたいする威嚇ジャンパー着用事件は、その後の一部メディアから漏れ伝えられる、福祉事務所職員の「本音」を閲するだに事務所内で人心の荒廃が猖獗を極めている事が明白になってきているように思えます。10年前の福祉事務所窓口での暴力事件を契機に、職員間の士気を高めるためであるとか連帯を強める、高揚させるといったことを今般発覚した不正行為の理由としているのですが、問題視する職員は居なかったそうです(毎日新聞2017年2月4日 東京朝刊)。そもそも10年前の事件を今に至るまで引きずっているという事の信憑性の無さと、事件時の当事者がほとんどかあるいはまったくいないにもかかわらず連綿と威嚇ジャンパーの作成と着用が続いていたという事実からこの言い分は根拠のない言いつくろいであると思います。弁解の余地がなく、断罪されるのが順当な事柄なのですが、市役所への抗議の大半、報道の主調が批判的である事などを理由に当該職員たちに同情的な報道も少なく無く、批判の内容も不正受給を追及する事は正しい事だが、やり方がまずかったに過ぎないと言ったものであり、多くの福祉事務所で長年にわたり行われ、特に近時のマスメディアによる生活保護バッシング以来顕著になってきた所謂水際作戦などに限らない生保利用者にたいする劣等処遇と呼ばれる、福祉事務所全体の人権軽視を等閑した論調が主なものであります。
 劣等扱いの一例を挙げますと、大手紙の報道では、あるケースワーカーは「自治体で差があるが、生活保護利用者への偏見や差別が強い。利用者を呼び捨てにしたり、(貧困を住民のせいにする)自己責任論を強くもったり(原文ママ)する職場もある。小田原市はジャンパーでたまたま可視化しただけ」と述べているそうです。事実、当方の許へ福祉事務所から届く提出書類やら厚労省のホームページの記述、審議会の議事録などに生保利用者の呼称を「者」呼ばわりして居たり、その逆に提出書類には事前に「何某援護課長様」と宛名が明記されたものが送られ呆れさせられます。

生活保護利用者にたいする、マスコミを含めた公論及び世論の否定的な見解は、今次の事件の発覚に際しても根絶し難い頑迷さと言っても良いものでしょう。更に質の悪いことには自分たちは本当に困っている人たちには同情していてその人達の為に不正を糾弾しているのだと言う正当化がなされる事です。これは一見もっともらしくもあり、所謂リベラル派と自称する類の多くの論者も口にしている事であります。彼らが本当に困っている人とそうでない詐称者をどのようにして見分け、解釈しているのかを具体的に示した事は一度もなく結局は生活保護利用者全体を懶惰な性情の人種と見做しているわけです。これらの基底には、当人たちが意識すると否とを問わず、明治初年の恤救規則の内容、つまり救済は家族および親族、ならびに近隣による扶養や相互扶助にて行うべきであるとし、どうしても放置できない「無告の窮民」(身寄りのない貧困者)だけはやむをえずこの規則により国庫で救済してよいとされた http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/soudan/03/s6.pdf (P15参照)考えと同様なものが存在し、日本国憲法の生存権の主旨とは相いれない欽定憲法下における守旧的な親族間の相互扶助思想に基づいています。
ここまで広範に渡る根深く執拗な偏見はいかにして醸成されてきたのでしょうか。

多くの識者や貧困者の支援者たちが生活保護行政に携わる者に対する教育を訴えていますが、私はこの指摘には懐疑的にならざるを得ません。そもそも誰がその教育を担うのかも問題にせざるを得ない状況にあるのではないでしょうか。このことについて以下に示す当方の考察は、このように述べてしまうと元も子もない話になるという論難もあるでしょうが、このことを認識せずに解決を論じても砂上の楼閣を築く事にしかならないのではないかという認識に基づき論ずるものであります。

この度発覚した小田原市福祉事務所のケースワーカーによる威嚇ジャンパー着用事件については、呆気にとられ感懐を述べる事は不能という有様ではありますが、以前よりの所感を述べたく思います。
知り合いの女子高生は、昨年暮れに18になったばかりで一年留年したにもかかわらず、短期間補習授業に出席すれば卒業を約束されているそうです。目を悪くしていますが勉強や読書をし過ぎたのではなく、ホラー映画を見過ぎたせいだと申します。自ら通う学校を「ぼろっちい、古い汚い校舎のバカ学校」だと言っています。一般には其の後、福祉の専門学校を履修して必要な資格を得て福祉や公務員の非正規職にすがるように就職して、こういう経過を経て少なからぬ人数が福祉職の担い手になるという事のようです。また正規採用職員も役所内の全く異分野の部署から自らの意思に反して貧乏くじを引いてしまった為に福祉事務所に配属され、一時的にではあるが貧乏人の世話をすることになってしまった不遇な境遇に今ある、という意識が職員間に支配的であるとも言われています。

当地は福祉専門学校が多いのですが、休憩時間中の駐車場にたむろしている生徒の様子から、この連中に老後の世話になるのは勘弁願いたいという御仁たちです。そもそも義務教育段階から「情操」にかかわることはIT授業にとって代わられ、社会参加は、商店で職場体験学習という塩梅です。教える方も,制度を施行する為政者も思いつきや新自由主義のイデオロギーに則った教育を志向するのが支配的なのではないでしょうか。それ以外にも古色蒼然のモラル教育で敬老精神を涵養すると言っても、為政者や行政が高齢者バッシングをやっている始末では矛盾が極まっています。福祉教育の担い手足りうる教育者がどれほどいるかと言う事も、心もと無い事であります。
敗戦後の民主教育の最も初期の担い手の多くが、「でも、しか先生」であったことと同様の事情が福祉の分野でも繰り返されているのではないでしょうか。つまり、学校では戦後早い時期から民主教育の建前の下、統制的な管理教育の制度が施行されながら、恐らく多くの教師は疑問を持たず、また戦前の学校制度で教育を担ってきた教師がそのまま教職を続けた為、生徒たちの多くは学校で民主主義の御託を聞きかじるだけで、題目を門前の小僧式に身に付けてそれをいつでもそらんじる事ができるよう訓練が行われてきた結果が、今般と同様の建前に反した偏見や差別、不寛容な社会を容易に肯定するような国民の多くの心性を形成してきたのではないか、そのように思わざるを得ません。

今後これらを論難するに際しては常に怠惰や不道徳、自己中心などの非難が付きまとう事になり、執拗で埒のあかない議論に悩まされる事になると思いますが、根気強く本来の公共の在り方を説いてゆく事が肝要と考えています。